設立背景
私達は、ソフトウェアエンジニアとして、世界で使われるソフトウェアやサービスを作っていました。皆様が毎日のように見ているブラウザーや検索エンジンなどもその一つです。
そこで、気がついたことは、日本人のソフトウェアエンジニアのプレゼンスが世界においてあまりにも低いということです。そういった開発の現場で、中国のエンジニアたちは2,3割を占め、インド人も2割程度です。一方で、日本人は数えるほどしかおらず、中国人の数百分の一ほどで、人口比を考えても数十倍負けています。
では、日本人は、エンジニアリングに向いていないのでしょうか。そんなことはありません。
ここ10年近く、私達は、危機感から、多くの学生や転職希望者に対して授業や指導をしてきました。日本の大きな会社で役職を得て、リーダーとして活躍するようになった人たちもたくさんいます。また、まったく未経験のお医者さんたちでさえも Google や Amazon といったビッグテックのエンジニアとして巣立っていきました。文系の出身者たちや40歳を過ぎている方でも Google や Apple などに入っていきました。もちろん、Facebook などの他の外資ITや外資銀行などに入っていった人もおりますし、働いている地域も、欧米、アジア、日本と様々です。そして、一般的によいとされる大学の出身者である必要も、若い頃からプログラミングをしている必要もありませんでした。
つまり、日本人は、エンジニアリングに向いていないなどということはありません。日本では情報科学の正しい教育機会が与えられれば、日本においても世界においても羽ばたけるのです。
しかし、日本での一般的な認識はこのようではありません。1年ほど前、東大の情報系の博士課程の学生さんから、このように聞かれました。「ここ、数年、インターンからのコンバージョンはともかく Google に新卒採用で採用された東大生はほとんどいません。特に、日本人男子は情報系の教授に聞いても一人も見ていないといいます。世界大会で活躍してメダルを取ったような人たちでさえ全滅しています。ですから、日本人東大男子は、ダイバーシティ・アンド・インクルージョンの観点から採用しないことになっているんじゃないかと、私の周りでは言われています。きっと、こうなっていることをご存知ないと思ったのでお知らせします。」しかし、実際には、私達の見た人たちの中に、ちょうどその数ヶ月前に新卒採用で採用されていた日本人東大男子の方がいたのです。また、この解釈は、いままで経験してきたことからも大きくかけ離れます。私達が指導しなくても、すでに最低限の準備ができていると感じた人は、東大生の中には1名しかおりませんでした。
現代の日本の情報科学教育を取り巻くもうひとつの問題点は、多様な価値観があることを理解できていないため、情報系の企業で働くための準備がなにであるかが、まったくもって誤解されていることにあります。何が職業人としての入り口であるかという価値観が共有されていないということは大きな問題です。
実は、2000年代ごろは、現在よりもソフトウェアエンジニアが育っておりました。2000年代前半はプログラミングコンテストが盛んでした。そして、よいコミュニティーがあり、ここで遊んでいた人々から、多様なエンジニアが生まれておりました。当時、プログラミングコンテストで遊んでいる人たちはプロコン勢と自称しておりました。プロコン勢は、練習会を開き、先輩から後輩へと知識や技能を受け継いでいったのです。それは、就職やプログラミングコンテストの目的に限定されたものではなかったため、ここのコミュニティーの教育効果は非常に高く、一時期はビッグテックで働く日本人エンジニアの半分ほどがこのコミュニティーの出身でした。付言しておくと、よく知られているように、このプロコン勢が最後に作った練習会の名前が「競技プログラミング同好会」であり、Google の日本人エンジニアの2割近くがこの会の出身であったこともあります。そして、この練習会が学校をまたいで多くの大学生たちのみならず高校生たちまでもを教育したため、本来、教育機関の名前であった競技プログラミングが、その影響下にある人達によって、プログラミングで競争をする分野の名称として使われるようになります。それに加えて、この練習会が、プログラミングコンテストを学生が開催する文化を作り、全国に広めたという事情もあるでしょう。もちろん、プロコン勢の先輩たちも競技プログラミングという名前を受容し、大学や内資外資を問わず様々なところで活躍していることも背景にあります。
この練習会のあたりで、私達は、コンテストで勝つことに重点を置き、様々なハックを開発し広めました。それは良かった面もあれば悪かった面もあるかと思います。しかし、少なくとも、競技プログラミング同好会の面々は、プロコン勢の先輩たちから教育を受けて同僚として迎えられたにもかかわらず、それを期待している後輩たちには十分にそれができなかった。そういう意味で、先輩たちから受け継いだものを一部しか後輩たちに受け渡せなかったという悔いはいまでも残っております。
つまり、私達がしていることは、2000年代前半においてあった、本質的な情報科学教育、エンジニアリング教育を復活させることによって、最低限、職業人として入門するに足る人物を育て上げることです。(念の為に書いておくと、ここまで日本、日本人という言葉を繰り返してきましたが、国籍が日本である人物に限って教えようというものではありません。現に、フランス、スウェーデン、中国、韓国、東南アジア、カナダ、アメリカなど様々な出身者でも、日本のマーケットと少しでも関わりがあれば教育をしてきました。)
現在、日本の経済の先行きは不透明です。実質実効為替レートは、1970年の1ドル360円時代を下回りました。つまり、言い換えると、円の購買力がどんどんと下がり、高度経済成長期や所得倍増計画の最中である、50年以上前まで巻き戻っております。また、カリフォルニアでは、ファストフードの最低賃金が時給3000円となりました。つまり、カリフォルニアの労働に対してドルの価値が落ちており、ドルの価値に対して円の価値が落ちており、円の価値に対して日本の労働価値はほとんど上がっていないので、最低賃金が10年で3倍離されていく状態になったということです。これは、年間12%ですから、日本でこの給与上昇が望めない場合、淡々と相対的に貧しくなっていきます。日本国内で、良いとされる職業や会社の賃金がこのペースで伸びていくとは到底思えません。中学受験をし、大学受験をして、日本社会において良いとされる学校に入ることが、この状況では何を意味するでしょうか。そして、恐ろしいことに、まだ、日本の平均所得は、世界平均よりもまだ3倍以上良いのです。
一方で、海外での出稼ぎというのもかなり困難な選択肢です。世界において、ブルーカラー労働者を受け入れている国は、産油国程度しかありません。多くの先進国は歴史的経緯から低賃金の労働力が湧いてきます。こういった事情から、ビザの関係上、その他の地域から出稼ぎに出ることは難しいのです。そして、産油国での外国人労働者の扱いはよいものではありません。この壁を超えるために必要なのは、ある種の専門性です。しかし、どのような専門性でもよいというわけにはいきません。
1980年代、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代、ニューヨークには日本人弁護士が闊歩していたと言います。どこの企業も日本企業と取引をしたく、取引のためには日本の商習慣をよく知る日本人弁護士に仕事を依頼したくなるのです。しかし、日本のマーケットの縮小とともに、こういった仕事も少なくなっていきました。これから、この傾向はますます加速するでしょう。
こう考えていくと、専門性として、海外で働くことが可能なものは、文化や言語の壁の影響を受けにくいものとなります。おそらく寿司職人をはじめとした食、スポーツや芸術のほかは、大学院で習うような技能でしょう。もちろん大学教授やサッカー選手を育成することも可能ですが、その中で、情報系の技能は、先天的な能力や後天的な訓練がかなり少なくてもすみ、育成が容易で再現性があります。このために大量に育成することに適しております。
そして、習得する個人から見ると、ソフトウェアエンジニアリングの能力は、人生のセーフティーネットとして機能するためリスクが取れて自由度をあげる手段となり、海外から日本を支えるための最後のビザとなり、新しい世界を切り開くための武器となるでしょう。
よく言われるように、日本は、資源のない国ですから、人を教育し、世界に伍していくしかないのです。
その時の目標として、せめて、おそらく学年の1%、つまり、毎年1万人が海外に出るようになれば、ようやく、中国並、インド並の教育がなされたといえるでしょう。その後、海外に出た人たちも数年後には日本で起業したり既存の企業に加わったりすることで日本の経済を立て直して欲しいです。
もちろん、私達から学んだ人たちが、同程度の人数、海外に出ずに日本において活躍することも目標としています。いわゆる日本型雇用制度は、日中戦争の頃に始まり占領政策期を経て高度経済成長期に完成したものです。ホワイトカラーの総合職は、この時期の会社の中核となる構造でした。会社に散らばり自発的に適切な社内調整をかけて人を動かすことによって高い労働生産性を生み出していたのです。しかし、現在の職場は、どこであれ人と電子機器が共存するものとなっています。これからは、経営陣や総合職が、人に対して適切な指示のできることのみならず、機械に対して適切な指示ができることも求められていくでしょう。日本社会の要所を占める人々に高い情報科学の能力を配ることも重要です。
毎年1万人の桁で教育をするためには、教育の再生産をすることが必要です。私達は、短期的には、多くの人たちを希望の就職先へと導きました。それは喜ばしいことです。エンジニアリングがなにかということを忘れなければ、仕事で貢献もできるでしょう。しかし、これは中期的な成功とはいえません。教育は、より優れた形での再生産を目標としなくてはいけません。それがどこまで成功しているかは分かりませんが、萌芽として、私達が教えた人が教える側として戻ってきてくれて、さらに後進を育てることができております。それから、教育が本当に成功であったかについては、教育を受けた本人がいつか一生を振り返るときに決めていただければよいと思っております。
そうして、いつか、「情報教育の最先端である日本において、あなた達がそのような無意味な活動をしていた理由が分からない」といわれるのが私達の願いです。
2024年1月